「竹島を理解するための10のポイント」

竹島問題

議論を呼んでいる竹島問題ですが、知らないということは非常に危険なことですね。つまり、知らないが故に、「韓国の言っていることが正しいんじゃないか?」と思ってしまうことです。自分もその一人です。。。非国民ですね。日本を信じつつも、あまりにメディアが韓国寄りであり、過去の戦争を正しく伝えないために、自虐的になっていました。多分そんな人たちが日本中に沢山いることでしょう。昔、「日韓の頭痛の種だ。爆破してしまいたい」と言った韓国の人がいたのを記憶していますし、「2島あるならそこで仲良く分割」と言った人に賛同してしまいました。情けない限りです。

外務省がこの問題について、非常に整理された資料を公開していますので、これを一読することが良いと思いますが、ここでは外務省が挙げるポイントについて簡単に紹介したいと思います。追加情報も含まれています。

外務省「竹島を理解するための10のポイント」

□日本は古くから竹島の存在を認識
□日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立
□日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止せず
□日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認
□サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請したが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否
□竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らか
■韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は未提示
□韓国が古くから竹島を認識していたという根拠無し
□韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福の供述には、多くの疑問点
■韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議
■日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案している、韓国がこれを拒否



□日本は古くから竹島の存在を認識
日本では竹島のことを「松島」と呼んでいました。逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていたようです。この時点で話がこんがらがりそうです。竹島や鬱陵島の名称については、欧州の探検家等による鬱陵島の測位ミスにより一時的な混乱があったそうです。余計なことをしてくれたものです。。。この欧州探検家のミスにより、鬱陵島が従来の「竹島」に加え「松島」とも呼ばれる原因となったようです。

日本が「竹島(現:鬱陵島)」と「松島(現:竹島)」の存在を古くから認識していたことが、複数の地図・文献等から確認できるそうです。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。

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□日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立
日本は「鬱陵島」でのあわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採を行っており、その航海上の中継地点として竹島を利用していたようです。「鬱陵島」での漁業をしていたとなれば、朝鮮人と遭遇することになりますよね。しかし当時、朝鮮王朝は「鬱陵島」への渡航を禁止していたため、遭遇はありませんでした。

幕府より鬱陵島への渡航を公認された米子の大谷・村川両家は、約70年にわたり独占的に事業を行っていたようです。しかし17世紀末頃より、多数の朝鮮人と鬱陵島にて遭遇することになります。渡航禁止令を破ったのでしょうか。

□日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止せず
1692年、村川家が鬱陵島にて多数の朝鮮人と遭遇します。更に翌年には、今度は大谷家が同じく多数の朝鮮人と遭遇し、このときに安龍福、朴於屯の2名を日本に連れ帰ります。

幕府の命を受けた対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口)が、安と朴を朝鮮に送還し、朝鮮王朝に対して、同国漁民の鬱陵島への渡航禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し、この交渉は合意には至りません。

対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡航を禁止します。この決定は、対馬藩経由で朝鮮王朝に伝えられます。
※この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称されているそうです。

しかし、竹島への渡航は禁止した訳ではありません

□日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認

島根県隠岐島民の中井養三郎が、1904年9月、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島:竹島の洋名「リアンクール島」の俗称」の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ます。翌1905年1月、閣議決定によって同島を「隠岐島司ノ所管」と定めるとともに、「竹島」と命名します。
※余談ですが、1904年というと日露戦争ですね。1904年2月6日から1905年9月5日まで続きます。1903年8月からの日露交渉で、日本は満韓交換論(朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置く)をロシア側へ提案しています。しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督らが、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示しませんでした。逆に朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行っています(これが、38度線の原型でしょうか?)。

逆に朝鮮では、1900年の「大韓帝国勅令41号」で、鬱陵島を鬱島と改称し、鬱陵郡が管轄する地域を「鬱陵全島と竹島、石島」と規定したそうです。この「竹島」は鬱陵島の傍にある「竹嶼」ということですが、「石島」が現在の「独島」を指すと指摘する研究者がいるようです。その理由がすごいのですが、韓国の方言で「トル(石)」は「トク」とも発音され、これを発音どおりに漢字に直せば「独島(トクド)」につながる…凄すぎる論理の飛躍です。何故”漢字”よりも”音”が重要視されるのでしょうか。時は1900年代なんですがね、漢字到来前のような発想です。

ちなみにこの時点でなお、現・竹島の実効支配をした記録はありません。

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(※ちなみに、鬱陵島のそばには2つの島があります。観音島竹島。韓国側は、観音島についてはどう捉えているんでしょうね。「鬱陵全島と竹島、石島」といったら、鬱陵島とその近隣にある2島がターゲットに思えますが。)


□サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請したが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否

1951年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約で朝鮮の独立承認が規定されます。その際に日本が放棄すべき地域が規定されますが、それが「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」とされています。
これに対し韓国は、放棄する地域に「独島及びパラン島」を追加するようにアチソン米国務長官に書簡を送ります。しかし米国の回答は、要約すると、「”ポツダム宣言に基づく”ものであり、これを逸脱することはないことを明確にしています。つまり現・竹島が朝鮮に属するという認識にはなく、日本の島根県に所属しているという認識である」というものです。

更にバン・フリート報告書が1986年に公開されましたが、これによると、米国は、竹島は日本領であると考えているが、この問題は国際司法裁判所に付託するのが適当であるとの立場(つまり中立)であり、この提案を韓国に非公式に行ったが、韓国は、「独島」は鬱陵島の一部であると反論したとの趣旨が記されています。

そもそも米国によって独立することが出来たのに、その米国の見解を無視出来る韓国という国なんですね。

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□竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らか

日本が占領下にあった1950年7月に、連合国総司令部は、連合国総司令部覚書(SCAPIN)第2160号で、竹島を米軍の海上爆撃演習地区として指定しています。


□韓国が古くから竹島を認識していたという根拠無し

韓国は「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知しており、「于山島」が現在の竹島であると主張しています。朝鮮の古文献中に「于山島」に関する記述があり、その島には”多数の人々が住み、大きな竹を産する”とあるそうです。あの竹島に・・・有り得ると思いますか?

韓国は文献『輿地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本の松島(現:竹島)である」と主張していますが、なんと『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としているのです。于山国と呼ばれたからでしょうか。
更には、新増東国輿地勝覧(1531年)に記載されている「鬱陵島」と「于山島」の位置関係です。「于山島」、「鬱陵島」の西にありますね。「于山島」が竹島なら、島が移動したのでしょうか。さすがに、西と東を間違えるようなことはないと思いますけどね。この島、一体どこにあるのでしょうか。ちなみに「鬱陵島」の西に、島は見当たりません。。。

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□韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福の供述には、多くの疑問点

幕府による鬱陵島へ渡航禁止決定後、安龍福が再び日本に来て(何しにきたんでしょうか)、再び朝鮮に送還さます。帰国時に、鬱陵島への渡航の禁制違反者として朝鮮の役人に取調べを受けますが、この際の供述が、韓国の領有権主張の根拠に用いられています。しかし、問題が多いようです。

安龍福は、来日した際に鬱陵島及び竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府から受け取ったと証言したそうですが、来日した際に、そのような書契を与えたという記録はありません。また、対馬の藩主が書契を奪ったといっているようですが、受け取ってないものを奪われたとでも言っているのでしょうか。
また、鬱陵島及び竹島といっている竹島とは、何処を指しているのでしょう。言葉だけで見れば、「于山島」じゃないのですかね。


■韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議

1952年1月、李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込みました。このベースとなっているのが「マッカーサーライン」です。これは日本漁船の活動可能領域を示していますが、最終的な措置でなく、GHQによる統治の都合上設けられました。日米協定の締結と同時に廃止されました。その後に「李承晩ライン」に利用されることになります。マッカーサーラインには沖縄は北方四島なども含まれておらず、漁船活動領域をしめしたもので領土を示したものではないことは明らかです。

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■日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案している、韓国がこれを拒否
日本は、韓国による「李承晩ライン」の設定以降、韓国による竹島領有権の主張、漁業従事、巡視船に対する射撃、構築物の設置等につき、抗議を重ねてきています。そして、この問題の平和的手段による解決のために、1954年9月、国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案しましたが、同年10月に、韓国はこの提案を拒否しました。その後の抗議にも応ぜずに現在に至っています。国際司法裁判所という中立機関(一応、といったほうがいいのかも知れませんが)を避ける理由は何でしょうか。自国の主張が正しければ、困ることなどないはずなんですが、そこに陰謀があるとでもいうのでしょうか。

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